アジア・アフリカ地域研究研究科アフリカ地域研究専攻 アフリカ地域研究資料センター
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ブクワの部屋探し(小川さやか)

「ここはどこだか覚えている?」

暑い日差しをうけながら、朦朧とした頭でかんがえる。同じ形、同じ色の土壁、トタン屋根の長屋が立ち並ぶ、ウスワヒリーニ(典型的なアフリカ人居住区)は、どこに行っても同じ光景で、まるで迷路のようだ。この日、私は友達のブクワと一緒に部屋探しをしていた。

「今度くるときは、僕と僕の奥さんとマリアムと一緒に暮らそうよ」

2001年にはじめてタンザニアを訪れ、ムワンザ市でフィールドワークをおこなうことに決めた私は、知りあったばかりの友人たちに、ホームステイがしたいと駄々をこねた。友人たちは、「まちの家族と暮らしたら、それは大変だよ。どんな家族もたくさんのやっかいな問題をかかえているから」と猛反対した。そして彼らは、大家さんを見つけてきて、私のために長屋の一部屋を借りてくれたのだ。

タンザニア人のお母さんがいて、お父さんがいて、私のことを姉と慕ってくれる弟や妹たちがいる暮らし。その夢はかなわなかったけれども、かわりに選んだ長屋生活は、本当に楽しかった。「ゲットー」で、男の子たちが作るへたくそな料理、近所の長屋の奥さんたちとの井戸端会議、恋の相談、音楽やファッションのはなし、明日の食べ物を買うお金の算段。同世代の若者ばかりに囲まれて幸せな長屋生活を送るうちに、ホームステイの夢など忘れて、また来たときも長屋を借りようと思っていた。だからブクワの言葉は、思いがけない誘いだった。

ブクワの言葉のとおり、私はかれの部屋に転がり込んだ。ブクワが住んでいる部屋は、ウスワヒリーニでは一般的なコの字状の長屋(5世帯)の一部屋で、一ヶ月Tsh.5,000(約500円)である。トイレは、同じ大家が所有するほかの長屋2軒(15世帯)と共同で、すこし離れた場所にある。水は、坂道を15分くらい下った場所にある、20リットルバケツ一杯Tsh.20(約2円)で販売する水道屋を利用する。電気はない。部屋は、大きめのベッドとテーブル、イス、それに食器を入れるたらいを置けば、もう歩く隙間もない。だから、ブクワと奥さんのママ・マリアム、娘のマリアム(4歳)と私の4人は、ひとつのベッドで寝ることになる。寝るときのコツは、頭と足の位置を交互にすることだ。そうすると、目があって恥ずかしい思いをしなくてもいいし、スペースも確保できる。

それでも、やっぱり狭いのだ。

そんなわけで、ブクワの部屋に転がり込んでから1週間目に引越しの話が持ち上がった。ブクワの家族と一緒に住めば、私が自分で長屋を借りるお金Tsh.5000は浮くわけだから、ブクワの家賃と併せるとTsh.10,000になる。これだけあれば、もう少し広い部屋に引っ越せそうだ。

町の人々は実に頻繁に引っ越しを繰り返す。どこの長屋で店子を募集しているのかは、ダラーリと呼ばれる仲介業者が知っている。ダラーリに頼めば、ムワンザ市中の部屋の情報が手に入る。しかし、ダラーリに頼めば一か月分の家賃を仲介料として支払わなければならない。そのお金が惜しい。ブクワのような貧しいものたちは、友達からの情報と自分の足を使って部屋を探すしかないのだ。

部屋探しをはじめて、1週間たったある日、ブクワが嬉しそうに報告してくれた。「サヤカ、見つけたよ。1ヶ月9000シル(900円)で、電気が通っていて、部屋もいまのところより少し広いんだ。共同の水汲みポンプもすぐ目の前だ。今日、仕事が終ったら、一緒に大家さんに会いにいこう」

大家さんの家は、立派だった。しっくいで化粧したコンクリート建ての家には玄関に至る短い階段があって、たくさんの花壇が並んでいる。私は、階段を勇み足で登るブクワのうしろ姿を見つめながら、これから住む部屋を想像してわくわくしていた。ドアが少し開いて、大家さんが顔をのぞかせた。大家さんの右手には、食べかけの魚のフライが握られている。大家さんは、ブクワをちらっと一瞥すると、魚を熱心に食べながら、ブクワの話にうなずいている。でも、ほんの1、2分話しただけで、大家さんはドアを閉めてしまった。

私は、階段を下りてくるブクワに、「どうだった。まだ空いているの。契約はいつするの」と立て続けに質問した。ブクワは、そっぽを向き、「もう二度とここには来ない」と怒ったように一言しゃべるとそのまま黙ってしまった。そして、わたしとブクワは無言のまま、長屋への道のりをとぼとぼと歩いた。

住み慣れた長屋に帰ると、ブクワは、「引越しはやめだ」と、引越しを楽しみに待っていたママ・マリアムに一方的に宣言した。「俺のほうをろくに見もしないで、もう夜9時だから、明日またこいって言ったんだ。あんな大家になんて二度と会いに行くもんか」

私には、ブクワが何にそんなに興奮しているのか分らなかった。私はすぐに答えた。「それなら、また明日行けばいいじゃない」。ママ・マリアムも「そうよ、まちは危ないから、きっと遅くに行って警戒されたのよ。私だって、夜中にドアを叩く音がしても開けないわ」と便乗した。するとブクワは、「僕の故郷では、夜中にドアを叩く音がしたら絶対にドアを開けるんだ。夜中にやってくる人には困ったことがあったに違いないからだ。僕は、そんなことも分らない人を奥さんにした覚えはない」と激怒した。

喧嘩が始まった。ママ・マリアムは、泣きながら、蛇やムカデに悩まされ、夜中は恐くて長屋から離れているトイレに一人じゃ行けないことなど、今の長屋での生活がいかに困難かを訴えた。いたたまれなくなったブクワは、部屋を飛び出した。

外に出てみると、ブクワは近くの岩に腰掛けて、泣いていた。「さやか、僕はやっぱり底辺の人間(Hali Ya Chini)だ。君がパソコンを使えるような電気のある部屋を借りたかったけれど、今の俺にはやっぱり分不相応なんだよ。君がいない一年後、Tsh.10,000なんて払えない俺たちは、またここに戻ってくることになるだろう。大家の奴、魚を持っていただろう。大家が、本当に俺を大切な客だと思えば、僕を部屋にあげて、魚をもてなしてくれたはずさ。でもどこから見ても僕は、Msela(その日暮らし)で、たくさんの家賃を払えるようにはみえないんだ。だから相手にしなかった。俺が夜遅くに訪ねることになったのは、ボスにお金を貸してくれるよう説得していたからなんだ。でも本当は時間なんて関係なかった。僕をうまく追い払いたかっただけだったんだ」

ブクワは傷ついていた。たしかにブクワの普段の生活水準では、とてもTsh.10,000の家賃は払えない。日雇いの仕事は、毎日ありつけるわけではない。仕事がある日だって、Tsh.2000稼げたら、いいほうだ。郊外の長屋から町までバスで往復Tsh.400、路上総菜売りでいちばん安いメニューを食べてもTsh.400、妻とこどもの昼食代にTsh.500,自分をふくめた夕食代にTsh.500、飲み水だってタダじゃない。暑いので、Tsh.100は飲んでしまう。炊事や洗濯用の水Tsh。100。食べるだけで、稼ぎは全部なくなってしまうのだ。だから、ウスワヒリーニの長屋では夜逃げは日常茶飯事である。懇願して何ヵ月も家賃を待ってもらう。そして家財道具を抱えて逃げることは、本当に当たり前なのだ。大家の危惧がわからないでもない。でもブクワは、今回には逃げるつもりはなかったのだ。

彼は、両親からブクワ、そして娘のマリアムへとつづく貧困の連鎖について語りはじめた。ブクワには、両親がいない。「種を落としていっただけ」の父親の記憶はない。母親は小学校の時に病気で他界した。ムワンザから遠く離れたイリンガ州マフィンガ県の村には、父親の違う兄弟4人と年老いた祖母がいる。「ひたすらジャガイモの皮むきをしていた」故郷を出奔したのは、小学校を終えた次の日だ。ブクワは、輸送会社で働く叔父のトラックの荷台に乗って、たまたまムワンザ市にやってきた。ムワンザ市に着いてからは、バスの呼び込みを続けながら日銭を稼いだ。

数年後、やっとコンダクターに昇格したが、すぐにインド人のボスと喧嘩して首になる。この頃は、友達のゲットーを渡り歩いていた。どうせ寝る場所でしかないゲットーが汚くても狭くても気にならなかったという。24歳の時、離縁された母親を訪ねにムワンザにやってきたママ・マリアムが駅でたくさんのタクシードライバーに絡まれていたのを助けて、自分がコンダクターをしているバスに乗せたことから、恋に落ち、同棲生活を始める。そして1年後、マリアムが生まれた。26歳で私と知り合ったときは、古着の行商人だった。ブクワは、私の援助で婚資を払い、キリスト教からイスラム教に改宗して、正式にママ・マリアムと結婚した。そして9年ぶりに故郷のイリンガを訪ねることもできた。

この年、29歳のブクワは、ママ・マリアムが第二子を妊娠したことを知って、父親として家族を守るためにはどうしたらいいかを真剣に悩み始めていた。そして一大決心をした。不安定な商売をやめ、手に職をつけるために、商品と家具を売り払って大工の職業訓練学校に入学したのだ。部屋探し事件が起きたのは、建築現場での日雇いをこなしながら、なかなか勉強できず、ますます苦しくなる日々の生活に焦燥感を感じていた、そんなときだったのだ。

泣き腫らした目をしたママ・マリアムが、コーヒーを入れたカップをもってやってきた。私たちは、夜遅くまで話し合った。そして「狭くても、電気がなくても、このまま今の長屋で暮らそう。ただし、引っ越すはずだったお金で、ほんの少し灯油を買い足して、今まで以上に毎晩遅くまでいろんなことを語ろう」「サヤカがいるメリットは、いい部屋に住むことじゃない。いろんなことを話して、知恵を出し合って、楽しく暮らすことだ」そう決心したのだ。

次の日、ブクワは長屋の修理をはじめた。壁の隙間を泥で埋めて、壊れたドアも端材を拾ってきて直した。夜中の緊急事態に備えた簡易のトイレも造った。

その後、娘のマリアムがマラリアにかかったり、奥さんの妹が家出してきたり、気がつくと引越し費用はあっという間になくなってしまった。まちの家族は、確かにたくさんのやっかいな問題を抱えていたのだ。

しばらくして、男の子が無事に生まれた。私たちは、彼に「クーリー」という名前をつけた。クーリーは、港や駅で荷運びをするポーターを意味する。実は、この名前の少年が主人公の物語が存在する。ブクワは、この本を故郷で擦り切れるまで読んだそうだ。ブクワは、真面目な顔をして名前の由来を話してくれた。

「僕の子どもは、将来、自問するだろう。どうして僕の父親は、荷運びなんていうひどい名前をつけたのかって。そのとき、もし僕がいなかったら教えてあげてほしい。クーリーは、僕のこどもだから、きっと貧しい人生を送るだろう。そういう生活から簡単には抜け出せないだろう。でも重い荷物を背負うのは名前だけで十分だ。物語のクーリーのように、どんなに大変でも自分の人生を呪わずに、たくさんの人を助けて、人々に引き立てられてチャンスを掴むんだ。そして最後に人生を振り返るときには、貧しいけれど自力でがんばった人生だったって誇ってほしい、そう思ったんだって」このときのブクワは、久しぶりに晴れ晴れとしていた。

タンザニアはいま、空前の建築ブームである。以前は、白人やアジア人、一部のエリートしか住むことの無かった、豪奢な一戸建てに住むことが、ブクワのような貧しい出稼ぎ民達にも夢見られるようになった。一方で、典型的なアフリカ人居住区の住宅事情は日々悪化している。トイレを増設するスペースは無いので、汚物や汚水が垂れ流され、コンテナーから溢れかえったゴミのうえを赤ちゃんがはいはいしている。衛生環境は最悪だ。スリなどの治安の悪化も著しい。ママ・マリアムの言うように、夜中に女性が一人で外の共同トイレを利用するのは、本当に危険である。

それでもウスワヒリーニの夜中に灯されるたくさんの明かりの向こうでは、ゲットーの仲間と、大切な家族と明日の希望を語りあって、明日の人生を切り開こうとしている人びとの生活がある。クーリーは、たしかに貧しい人生をスタートするだろう、大きな家に住めないかもしれない。でもウスワヒリーニで人びとと仲間と、助け合い、語り合い、ブクワのようにたくましく自分の人生を切り開いていって欲しいと思う。

 

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