『エクメーネ研究』創刊の辞
Preface for the initial number issue of Ökumene research
Shuichi OYAMA
『エクメーネ研究』は、人間と環境との関係性を探求しようとする論文を、ひろく取り扱う学術雑誌になることをめざしている。エクメーネというのは、地理学の用語で、人間の居住域を意味するドイツ語である。人間は、狩猟・採集、農耕や牧畜を通じて、自然環境を利用し、ときに克服、あるいは適応することによって、非居住域であるアネクメーネを、居住域であるエクメーネに転換してきた歴史をもつ。エクメーネは、ケッペンの気候区分では、熱帯(A)、温帯(C)、冷帯(D)はもちろんのこと、寒帯(E)にも及ぶこともある。アンデスやヒマラヤ、チベットの山岳域にも人間は居住しているし、乾燥気候(B)の砂漠にも、人間の居住域は分布しているのである。
地球上の人口は、1800年に9億0600万人にすぎなかったが、1900年には16億0800万人、1950年には25億2900万人、1975年には40億6100万人、2000年には61億1500万人、2005年には65億1200万人にまで増加し、2050年には91億人5000万人になるという予測がある(UN World Population Prospects,The 2008 Revision)。2005年現在、人口100万人以上の都市が少なくとも250都市、1000万人以上の巨大都市(メガシティー)が東京や大阪、北京、上海、ソウル、マニラ、ニューヨーク、ロサンゼルス、メキシコシティー、ブエノスアイレス、サンパウロ、カラチ、ムンバイ、デリー、ダッカ、コルカタ、カイロの17都市が存在する。現在のように、人びとが密集して生活し、巨大都市が誕生し、経済活動が活発に展開した時代はなかっただろう。これからの時代は、都市文明の時代とも呼ばれるが、われわれ人類は、みずからが作った都市という人工空間―それもエクメーネである―に、うまく適応していかねばならないのである。
1980年から1990年代までに、アジアやアフリカ、南米の多くの国々では、IMFや世界銀行により構造調整政策が導入され、「大きな政府」から「小さな政府」への移行、各種規制の撤廃、民間活力の活用、経済活動の自由化、外資導入による資源開発が積極的に進められた。各地で、経済活動が活発になったことで、酸性雨や砂漠化、熱帯雨林の減少、外来種の問題、二酸化炭素の排出と温暖化の問題など、さまざまな問題が生じている。
2006年から2008年にかけて、原油をはじめ鉱物資源の価格が急騰し、バイオエタノール製造の需要からトウモロコシやサトウキビの価格が上昇するとともに、食料価格の高騰を引き起こした記憶は鮮明である。アメリカ合衆国のサブプライムローンの問題やリーマンショック、ドバイショックという金融バブルの崩壊を契機に、資源価格は落ち着きを取り戻した感もするが、ふたたび上昇傾向に向かっている。資本をもつ少数の人間が資源を独占し、多くの庶民が日々、必要な食料を入手できないという、人類の終末期を見たような不安にかられたのも、わたしだけではないだろう。
人口増加によって、病原菌が蔓延するという問題も近年、深刻になっている。はしかが東京で流行したのは2007年のことで、教育機関も閉鎖せざるを得ない事態に直面した。2009年には、ブタ・インフルエンザに由来するH1N1型インフルエンザが猛威をふるい、世界各地で死者を出した。東京や大阪のターミナル駅で、すべての乗客がマスクを装着している姿は異様であり、脅威でもあった。多数の乗客をはこぶ大型ジェット機の運航によって、病気の発生は即、われわれの生活に結びつくのである。鳥インフルエンザに由来する新型インフルエンザの発生と流行は、時間の問題だという話もあるし、HIVエイズやエボラ出血熱の感染、温暖化にともなうマラリア感染域の拡大といった問題もある。家畜が感染する病気も深刻である。宮崎県で発生したウシやブタの口蹄疫の問題は、地域経済に多大な悪影響を与えているし、われわれの食生活を根底からゆるがしかねない問題である。
世界では人口が爆発的に増加する一方で、日本社会では少子高齢化が進み、人口が減少に転じている。2005年から2010年にかけた年平均人口変化率は、マイナス0.02%であった。65才以上の高齢人口は、1950年には4.9%だったものが、2005年には19.7%まで上昇し、2050年には37.7%にまで跳ね上がると予測されている。生産人口が大半を占め、高度経済成長という右肩上がりの時代は過去のものであり、低成長時代のもとでの少子高齢社会への対応が迫られているのである。
日本では、東京への一極集中と地方の過疎化が進行し、地域経済が疲弊していることも深刻な問題である。われわれの社会では、多くの人びとが専門職(スペシャリスト)に就き、現金所得を稼ぎ、生活費を得ている。若者の多くは、生まれた場所、育った場所、そして親元を離れて、都市に出て、給与所得者であるサラリーマンになっていく。サラリーマンには転勤族も多く、地域―ときに外国―を渡り歩き、流動性が高い。その子どもたちにとっては、「さと」や「ふるさと」と言える場所が消失していく危険性もある。都市に出た人びとにとって、周囲のコミュニティーとの関係が希薄になる傾向も強く、親族との関係は以前よりも強くなく、血縁・地縁の関係から遊離するという事態が進行している。われわれは、激動する社会のなかで、みずからのアイデンティティーを、どのように醸成していくのだろうか。また、労働人口の減少は、外国からの労働者の流入をうながすと言われるが、日本社会は、異なる人種・民族をどのように受け入れていくのであろうか。
上記のような問題は、地球上、あるいは日本社会に存在する多くの問題の一部分にすぎない。『エクメーネ研究』は、これらの問題群やその解決に資する研究論文を積極的に掲載する予定でいるが、そればかりを取り上げるつもりはない。地域やそこに住む人びとへの愛着に根ざしながら、地域の社会・文化・歴史の構造、環境・資源の利用の実態を明らかにするような人文・社会科学的な研究、自然の謎や生態系の仕組みを解明しようとする自然科学的な研究も、幅広く取り扱っていきたいと考えている。調査手法はフィールドワーク―現場での計測や観測、参与観察、インタビューや聞き取り調査、そして実験室でのラボワーク、あるいは両者を組み合わせたようなマルチ・ディスプリン、どれかに限定するつもりはない。取り扱う分野も地理学や社会学、人類学、生態学、農学、政治学、経済学をはじめとする既存の学問分野だけでなく、地域研究や環境科学といった複合的な視点による研究分野も、その射程に入るだろう。
また、卒論生(学部4年生)や大学院生(修士課程)の学位論文も積極的に掲載していこうと考えている。卒論生は少なくとも1年間、修論生は2年間にわたって、研究活動に従事し、先行研究を読み、データを収集・分析し、学位論文の執筆に力を注ぐ。このような論文には、力作が少なからず存在するが、かならずしも研究者志望の大学院生ばかりではなく、学会員になって論文を投稿しようとする学生は限られている。学位論文を仕上げ、学会誌への投稿に意気込む学生がいても、それぞれが就職したのちには、日々の生活、仕事に忙しく、論文の修正や投稿準備に手間と時間をかけることはできないようである。学位論文は公刊されることなく、埋もれていくのが、哀しい日常となっている。このような埋もれがちな力作をすくい上げ、研究成果として形に残していくことも、『エクメーネ研究』の重要な使命のひとつだと考えている。
フィールドワークやラボワークからの初期の着想「ファースト・インプレッション」と今後の研究展開を表現しようとする論文を掲載することも重視している。学会誌に掲載される論文は、内容と形が整っている必要があり、そのことで、おもしろみに欠けることも少なくない。掲載には多大な時間がかかることも難点である。荒削りであっても良いので、調査・研究の熱気を伝える迫力のあるダイナミックな論文を発表できるメディアを提供していきたいと考えている。『エクメーネ研究』での論文発表を土台にして、それぞれの世界で活躍する社会人、そして飛躍していく研究者が出てくれば、それは労多い編集作業をこなすうえでの大きな励みになるし、光栄にも感じるところである。
京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科
大山 修一
(首都大学東京 都市環境科学研究科 地理環境科学域 2010年当時)